風俗に行っていた旦那を許すことができません

風俗に行っていた旦那を許すことができません
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相談者:クルミさん 女性 20代

旦那が風俗に行っていたことについて、相談させてください。
現在、私が27歳で旦那が34歳です。2歳と1歳になる子供がいます。

ことのはじめは、旦那の財布から風俗のポイントカードを私が見つけたことでした。

旦那に風俗に行ったのか、問いただしてみると素直に認めてくれたのですが「風俗ぐらい許せよ。」と言われたことがショックで…。

それ以来、旦那のことを受け入れることができません。

男性というのは、彼女や奥さんがいても、風俗に行きたいというものなのでしょうか?

私が子供なだけで、風俗に行くことは許したほうが良いのでしょうか?

カウンセラーからの回答

「それくらい」はどれくらいだろう

こんにちは、クルミさん。心理カウンセラーのオハナです。

ご主人のお財布から風俗のポイントカードを見つけた時は、さぞかし驚いて心臓が止まるんじゃないかと思えたのではないでしょうか

実はオハナは「男性の財布とスマホにはいいものがないから覗いてはいけない」という言葉を聞いたことがあるのですが、それって的を得ているなと思うのです。

財布やスマホは、持ち主の素の情報がまるごとそこに集約されているじゃないですか。

何を食べたいと思って、どこにそれを買いに行ったのか?何人でどこにお茶しに行ったのか?それは何時だったのか…?

レシートを見れば一目瞭然ですし、スマホにはLINEやメールだけではなくて、検索履歴からはどんなことに興味を持ってなにを調べたのかが見えてきますよね。

こうした情報の中に、パートナーである女性にとって有益なことってそうそうないと思うのです。
ほとんどは「えっ」と驚くようなことなのではないでしょうか。

自分は彼のことをよく知っているはずなのに…という落胆のような、裏切られたような気持ちにすらなると思うのです。

ですから、心の平穏を保つという意味でも、絶対にご主人のお財布の中身を見ることをやめた方が良いのです。とはいえ、もうすでに見てしまったものは仕方がありませんものね。

思いは黙っていても伝わらない

ところでクルミさん。
「風俗ぐらい許せよ」と言われたことがショックでご主人のことを受け入れることができない、と書いてらっしゃいますね。

これはおそらく夫婦生活のことをおっしゃっているのかな?と推測します。

自分の心を傷つける相手のことを、自分自身で踏みにじってまで受け入れる必要はどこにもないと思うのですよ。

「受け入れることはできない」と思っているのに、それを無視して受け入れるということは、自分で自分を傷つけているのと同じことだと思うのです。

クルミさんは、もしかしたら倍の心の痛みを感じてしまいそうではありませんか?
あるいは、もし夫婦生活のことではなく日常生活において、ご主人と同じ空間で過ごすこと自体をおっしゃっているのであれば、また話は変わってきます。

同じ空間で最も率が高いのはリビングだと思うのですが、クルミさんがご主人の顔を見るのもつらいのであれば、見なくていいと思うのです。
「わたしは見ない」という選択肢を選んで良いということです。顔をみずとも会話はできますよね。

ただし、あからさまにそれをやってしまうとお子さんも気づいてしまうでしょうし、そうされているご主人も気が付きます。気が付くということは、気分を害する可能性があるということになりますね。

ですから、なにか家事をしながら会話をする、という二足のわらじ状態を演じなければなりません。

やはり、どちらにせよたどり着くのは「対話」だと思うのです。
思っていることは言葉にして伝えないと、相手には届きません。

「風俗ぐらいというけれど、わたしはあなたを好きだからとても傷ついて毎日悲しい。風俗に行くのはやめてほしい。」と、ちゃんと伝えてみてはいかがでしょうか。

特に男性の多くは、残念ながら相手の気持ちを丁寧にくみ取る能力が乏しいのです。人によっては「そんなことあった?」と記憶のかなたになってしまう場合だってあります。

ですから、あまり時間が流れてしまわない早いうちに、勇気を出してご主人に自分の言葉で伝えてみましょう。

もし勇気を出して伝えても、ご主人はそれを理解することができないかもしれません。でも、それは仕方のないことと捉えるようにしてみませんか?

理解できる人なら、初めから風俗通いなどしないのですから。

大切なのは「伝えることを諦めない」という揺らぎのない信念だと思います。

最愛のパートナーがいても風俗は「蜜」なのか?

女性と男性の恋愛脳はまったく異なる仕組みになっています。

男性はいったん火が付くとガンガンに燃え盛って、お目当ての女性にまっしぐらとなり、アプローチに必死になります。
対して女性はその真逆で、アプローチされているうちは、さほどその男性に熱をあげていません。

けれど、ひとたびその男性のアプローチに陥落すると、女性はふつふつと恋愛のボルテージをあげていきます。
一時的にふたりの熱が同じレベルまで上がった後、なんと男性のほうは静かに、そしてゆるやかに熱は下降していきます。

下降していく愛しい男性のすぐそばで、熱を上げっぱなしの女性がいるわけです。
そうなるとふたりの間にひずみのようなものが生まれ、それが「トラブル」を招いてしまうのですね。

こうして、相手に対して一定の情愛を抱く女性とは逆に、冷めていきやすい男性はやがて別の刺激を求めるようになることがあります。

その対象が近場の女性であったり、偶然巡り合った女性であったりと様々ですが、本気の恋愛を求めるのではなく「性欲の発散相手」としての「女性」を求める男性もいます。

もちろん、パートナーである女性のことをいつまでも変わらぬ愛で包み込んでいる男性もいますね。

しかし残念ながら、男性は性欲と心を別処理できる人がおり、どんなに愛する妻や恋人がいようとも、風俗通いがやめられない場合もあるのです。「それとこれとは別」という言葉がありますが、まさしくそうなのでしょう。

「そこに恋愛感情はないんだから、裏切りではないし合法だからいいだろう!」という言い分を持っているのかもしれませんね。

悲しいことに、風俗に行きたいと思う人がいるのか?という問いに関して返事をするならば、「います」という答えをクルミさんに渡さなければなりません。

ただ、これはDNAに組み込まれた「種の保存」が起こさせる行動かもしれませんね。男性は自分の遺伝子を残そうというDNAを持っていると言われています。だとしたら、より多くの女性に自分の子どもを産んでもらいたいと動物的本能で思うのでしょう。

風俗通いを許せないから子どもなのではありません

誰だって、愛する人や信頼している人が、自分とは別の女性と関係を持っていたら良い気分にはならないですよね。それがたとえ「恋愛感情」を伴わず、肉体関係のみであることが大前提の風俗であっても、嫌なものは嫌なのです。

「恋愛感情がないなら風俗は問題なくいいよ~!」という女性も、この広い世の中ですからいないわけではないでしょう。

けれど、そういう人とそうじゃない自分を同じ物差しで比べるのは、何の意味もありません。クルミさんは「風俗を許したほうがいいのか」「私が子どもなのだろうか」と悩んでらっしゃいますね。

「悩む」ということは、そのことを「是(ぜ)」と思えないということなんだと思うのです。

是(ぜ)とは、道理にかなっている。「正しい」という意味があります。
そういう風にとらえることができないのでしょう?

ご主人の欲求を、自分の心を踏みにじってまで容認することができないのなら、許さなくてもよいと思うのです。

ましてや、許すことができないことで、子どもだなんて感じることありません。ご安心くださいね。

不倫や浮気がダメなら「性欲発散するだけの風俗通いなら罪じゃない」と思うのはご主人の欲求からくる理由づけでしょう。クルミさんが嫌だと思っているのであれば、そのことをご主人に伝えることからまず始めてみてください。

対話をすることから、解決の糸口が見えてくるかもしれませんので、夫婦のみならず家庭によい気を循環させるためにも勇気を出してください。

クルミさんの心の安寧をお祈りします☆オハナでした。

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